武士としての軍人、刀という矜持 〜『靖国』後編
結局煮詰まってしまったので、私が靖国を見てからしらべたりしたことをまとめておきます。
あんまりよくわかってないところから、ここまで調べる気になったくらいには、よい映画だった、ということで。
今度こそ、(人によっては)ネタばれ(と感じる表現)があるのでご注意ください。
『靖国』を見て調べたこと
- 日本における戦争(合戦?)は、どちらかというと白兵戦を嫌う傾向があり、弓や槍、鉄砲が好まれたらしい。
- その中において刀がなぜ大量に普及していたかといえば、首取りという「評価尺度」が存在したから。早く、あるいはたくさん首を取ってくれば、それだけ報酬があった。首取りには刀が非常に機能的だった。
- 刀は神秘的な存在として、儀式などでも用いられる存在だった。
- 江戸時代に太平の世が続く中、刀は武士の象徴としての意味合いも強めていったようだ。
- 開国/明治維新の混乱のなかで実権を握っていった人たちの中には、日本独自のものこそ大切にしようという考えの人たちも少なからずいた。その人たちは、そのルーツをそれぞれ国学などに求め、思想的な立場と権力的な立場が複雑に絡み合っていた。
- 混乱の日本をまとめるために、思想統制として神仏稀釈が行われ、神道が国家神道として利用された側面がある。
- 第2次世界大戦に入ってから、戦況が悪化する中でなお現場の士気を鼓舞し、国としてのまとまりを保ち、戦争の正当性を強調する必要から、思想統制に用いた思想(国家神道)そのものに指揮層が没入していく傾向があったようだ。
- 維新後の軍隊にも軍刀はあったが、主に指揮刀として用いられていた。形も、はじめは西洋風のサーベルに近いものがおおかった。
- 軍人はみな自分の刀を持ちたがった。軍刀は支給されるものではなく、私物として所持される傾向が強かった。
- 他国が「重く、戦闘力が他の武器より劣る」ことを理由に軍刀から離れていく中で、日本軍だけが最後まで軍刀にこだわった。
- 昭和に入り、陸軍の中で日本刀回帰の機運が起こり、靖国神社に鍛錬所がつくられた。ここで作られた刀が靖国刀。靖国刀は陸軍の幹部に支給された。
- 軍備が乏しくなっていく中で、おそらく前線では個人に渡せる武器は軍刀ぐらいしかなくなってしまったのではないか、という意見もある。
で、考えたこと。
- 刀というのは、武器というよりは心のよりどころに近くなりやすかったのだろう。頼れる武器が刀ぐらいしかない、という状況になってはなおさら。
- もしかすると、日本刀型の軍刀を好んだ軍人は、「武士」という意識がつよかったのかもしれない。となると、手柄としての首取りという発想も、十分あったのかもしれない。そうでなければ、あのラストシーンの快心の笑顔はなかなかでないだろう、と。
- (戦争のあったところはどこでも首取りはあったらしいので、行為そのものの残虐性は「日本人はとりわけひどい」ってわけでもないだろう。第2次世界大戦時点では、残虐的なこととして他国のメディアで取り上げられたらしいけど。)
- 伊勢崎賢治氏(東京外語大大学院)によれば、『暴力はセクシーだ』。戦闘状態が日常の世界では、おそらく価値観はいとも簡単にひっくり返ると思う。
いろいろ考えましたが……
いろいろ考えましたが、国家神道の内容を云々するのは私の能力を超えます。(ていうか、すべての人を救った思想がいまだ存在しないので、思想の内容を正しいかどうかで考えることにはあまり意味がないと私は思うので)
問題は、それまで生活に密着していた信仰対象までもが人為的に整理され(神仏稀釈)、思想統制を目的に用いられた側面があること、およびその後実際に全体主義国家に進んでしまったこと、ではないかと思います。
全体主義、と単語で言うとばっさり切れて簡単ですが、「戦争のない世界のために」を理由にあらゆる個人の自由を奪ってしまうことだってありうるかもしれないわけで。「単純化しない」ふんばりが必要だと思いました。ほんとに。
最後に、靖国刀最後の刀匠が刀を鍛える姿は「美しかった」。人間は、本当にいろいろなものに美しさを感じるものです。それが必ずしも理性的な価値観と一致しないことは、普段あんまり意識しないのですが。
参考)
http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/
映画『靖国』パンフレット/http://www.yasukuni-movie.com/
おまけ)映画『靖国』予告編