武士としての軍人、刀という矜持 〜『靖国』 前編

いろいろ話題だったので、5月3日、渋谷シネ・アミューズの初日に行ってきました。

http://www.yasukuni-movie.com/

冷たい雨の中、取材のみなさんがわんさかいらっしゃいましたが、特に混乱も無く観覧できました。10時に行って13時過ぎの席がとれましたから、予想以上の混雑、というわけでもなかったです。
老若男女、実にバランスのいい客層だったのが印象的でした。最近、そういう観客席ってあんまりないですよね。さすがに中学生以下は見当たりませんでしたが……


総じて、できる限り事実を追うことに徹した良いドキュメンタリーだったな、というのが感想です。
ニュートラルに主張を避けている分、一回見ただけではピンとこないところもあり、それが見る人の印象を分けるでしょう。
個人的には、DVDが出たら買います。何度か見て、その度に印象が違うタイプの映画だと思うので。


レビューとしてはこんなもんでしょうか。
以下は、私が『靖国』をみて考えたことなどです。



個人的な「靖国体験」をマクラに

2年ほど前、友人と神保町に寄った帰りに、散歩がてら靖国神社を通りました。
第一鳥居からずーっとゆっくりのぼって、中門鳥居のところまで。
拝殿の前ではご高齢の方々が20人ほど、お参りをされていました。
駿台市ヶ谷に行ってたもんで、そのころはちょこちょここのあたりを散歩していたのですが、「予備校のときもね、なんとなくこの中門鳥居は、くぐれなかったのよね〜」とか話しておりました時。
……お参りをしているみなさんが「海ゆかば」を歌い始めました。
右翼の街宣車でもなく、軍服コスの皆さんでもなく、本当に普通のおじいさんおばあさんたちが、心をこめて丁寧に歌っていた「海ゆかば」。


私と友人は、逃げるように南門から外に出てしまいました。単純に、びっくりしたからです。
歌詞のの意味を知らないわけではなかったので、突然おそってきたあまりにリアルな「戦争の記憶」に、どうしていいかわからなくなってしまったのです。
「……びっくりしたね」
「うん」
「やっぱり、実際にこなくちゃわかんないものってあるね」
「……ていうかもしかして、戦後ってぜんぜん終わってないんじゃね?」
そんなことを話しました。
予想だにしなかった非日常があまりにも当たり前に存在している靖国神社のありよう……あまりにも堂々とした公然のヒミツな感じと、その中に閉じ込められている(怒りだけでなく、悲しみとか、尊敬とかも含めた)激しい感情に、なんというか、頭の中が真っ白になったのでした。

靖国体験」としての『靖国


何でこんな話をマクラにしたかというと、『靖国』というドキュメンタリーは、多くの人にとっての「靖国体験」になりえるだろうと感じたからです。


靖国神社の日常は、それが良いか悪いかは別にして、現代の多くの日本人にとっての非日常だと思います。
普段はおそらくそれなりのバランス感覚をもって日常を過ごしているであろう人々が、特別な日、特別な場所で、感情を丸出しにして「何か」を守ろうとしている様子は、それだけで、十分にびっくりします。


靖国神社の何が、そんなに人をハダカの感情にしてしまうのか。
そして、それだけ激しい感情を引き出す靖国神社の力を、なんでこんなに知らないのか。
ていうか、日本に、こんなに激しい感情があったのか。


これまで「靖国体験」を経験していない人にとっては、そのためだけでも、このドキュメンタリーを見る価値は十分にあると思います。

武士としての軍人、刀という矜持 〜『靖国』後編 - せんまい 〜あるいは寸止めクネクネ