日本には医学教育など存在しなかった

政府に歩調をあわせるように、自民党側も、臨床研修を見直すべきだとの意見は強い。元厚労相尾辻秀久参院議員会長は「科目、地域の偏りを大きくしたのは事実。何らかの方法で、無理やりにでも医師を配置する方法を考えなければ」と主張する。


これに対し、民主党臨床研修制度の見直しを提唱。都市部の研修人数を調整し、別の研修先に振り向ける必要性を指摘している。


http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009010502000075.htmlより引用


極論してしまえば、日本にはもともと医学教育など存在しなかったのだ。
いや、もう少し正確に言うと、研修医に対する臨床教育が存在しなかった、と言ったほうが正しい。


少し考えてみよう。
なぜ、新臨床研修制度が始まったとたんに、大学医局は地域に派遣していた医師を引き上げざるを得なかったのだろう?
それは、新臨床研修制度が始まる前までは、医局にとって研修医が「労働力のアタマ数」に組み入れられていたからに他ならない。


研修医といえど、免許をもらったばかりの素人同然だ。そのような人材がいてもいなくても、現場はたいして変わらない。どちらかというと、厄介な新人がいないほうが現場はスムーズかもしれない。
ただし、それは人材が十分に現場にいれば、の話である。
現場に人が足りなければ、それこそ「猫の手でも借りたい」。素直な新人は、それこそありがたい猫の手になる。給料が安ければなおいい。
それで、新臨床研修制度が始まるまでの研修医は、主に煩雑な手続きの多い病棟の入院患者の担当医として「安い労働力」に数えられていたわけだ。


医師免許をもらったばかりの新米医師が、いきなり怒涛の現場にon the jobトレーニングに投げ込まれる。それが、新臨床研修制度が始まる前までの臨床研修の姿だった。


そのような臨床教育では、新人は狭い領域に特化した形でしか能力を高めることができない。自分の専攻分野なら(しかもその病院の中でなら)、短期間でかなり使える戦力に育つ。
だが、そのような戦力は汎用性がない。それっぽい用語で言うと、プライマリケア(症状のある患者さんへの最初の診断・治療)の能力が育たない。腹痛の診れない脳外科医……ならまだ許されるかもしれないが、とにかくそのような汎用性のない医者ばかりでは、来る超高齢社会に対応できないのではないか、という危機感が、新臨床研修制度を推し進めた原動力だった。


身も蓋もないことを言ってしまえば、プライマリケアのできる医者が少ないよな、と言う考えがあったということだ。医者の一部に。


そのような流れで新臨床研修制度は始まった。


ここ10年ほどの「プライマリケアブーム」で、以前に比べればプライマリケアの良書が多く出版された。「流れを読んで追いつく」のが得意な医者たちは、そのような流れの中で、以前ほどプライマリケア音痴ではなくなってきている。このあたり、実感もあるし、医者の底力はすごいなあ、と素直に感心する。


しかし、今ここで臨床研修制度を、たとえば一年に短縮したり、ローテーションせずに一つの科でずっと研修することができるようになったりしてしまえば、おそらく現場の「医師不足感」はさらに増幅すると私は思う。
(1年短縮すれば、とりあえずその年には7000人増えるわけだから、短期戦略としては魅力的なんだけど)


結局、そのあと戻りは「研修医は安い労働力」という考えに基づいたシステムへの逆行だからだ。医療の変化に伴ってさらに「しわ寄せ」による現場の負担は増え、今現在もっとも問題になっている「中堅勤務医は安い労働力」という考えに基づいたシステムが改変される見込みがまた遠のいてしまう。

専門医となるための研修期間中は、無給となる場合が多いので、医療保険に加入しにくいが、医療保険に未加入の場合は自費診療ということでかなりの費用がかかることとなる。そこで、安心して研修に励むためにもぜひ医師会に入会し、医師国保に加入することを勧奨したい。
http://www.med.or.jp/student/studentf.html医師福祉の生涯設計について―生涯設計の道案内―(日医医師福祉対策委員会答申)p.10


結局、「後で儲かるんだからいいじゃん」という考えに基づいて、医者は後進のことなんて誰も考えちゃいなかった、ということだ。(医師会に入るには、日本医師会都道府県医師会と区市町村の医師会全部に会費払わなくちゃ入れないのに。ていうかだれか勧誘にきたかよ。)
医療はどんどん変化して、10年20年前とは比べ物にならないほどヒューマンリソースを必要としていて、患者の信頼は開業医から病院へ移行していたにも関わらず、だ。



厚生労働省3師調査より作成/上 平成8年・下 平成18年


それで、第2ピークの「新設医大世代」の医師が40代を超えて開業年齢に達し始めたら当然起こりうるであろう変化に、対応できなかった。それが、結局は「医療崩壊」に他ならない。
今や、個人開業の医院だってつぶれるし、医者だってだけで銀行も昔ほどお金を貸してくれなくなっている。地域の医師会は「患者の奪い合いになる」と、根っこの方では今でも医者を増やすことには懐疑的で、新規開業医には冷たいと聞く。まあ、地域差はあろうけれど。

臨床研修制度で、研修医はやっと、健康保険と雇用保険を保障された。
医者世界の研修医とキャリアコースに対する認識が変わらない限り、「医療崩壊」は止まらない。